Provided by MARUDOT INC.
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最近、認知症に関する本を読んだ。
そのなかで、なんだか考え込んでしまう内容(夜はぐっすり眠れています)があったので、今回はそのコトを共有していきたいと思います。
わたしの心に突き刺さった本の内容は下記のとおり。
今まで認知症というテーマは、認知症の人を周囲がどのように支えるのかといった視点が主流でした。認知症ではない私たちが、認知症の人を”あちら”の存在ととらえ、どう支援するのかという視点です。しかし、認知症が、高齢化していく私たちと絶えず変化していく社会とのあいだでおこる現象だととらえると、これは決して”あちら”の問題ではなく、”こちら”の問題となります。
いや、いきなりこれだけ出されても・・・
ということで、まず「認知症」についてですが、
そうなんです。
認知症とは、
「一度正常に達した認知機能が、後天的な脳の障害によって持続性に低下し、日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状態を言い、それが意識障害のないときにみられる。」(日本神経学会「認知症疾患診療ガイドライン2010」)
もう一度いいますよ。認知症とは、病気の名前ではなく「状態」です。
えっ、でも「アルツハイマー型認知症」とか言うじゃない???
それも病気の名前じゃないってコト?
確かにそう言いますよね。
なので、簡単にイメージしていただくと、アルツハイマー病によって、認知症という「状態」が出現しているというコトになります。
でも今回注目したかったコトは、実はここではありません。
わたしの心に突き刺さった本にあった文章で、
歳を重ねていくなかで、誰しも多かれ少なかれ、脳の機能が低下していきます。そうしたときに、私たちをとりまく交通や通信手段、金融機関、スーパーやコンビニ、行政サービスは、はたして使いやすいものなのか。そうしたものが使いにくくなったときに、私たちは、物理的に、社会的に”排除”されてしまうのではないだろうか。”あちら”にいて、何か困っている人に手を差し伸べるという従来の福祉的な話ではなく、このままだと将来、私達自身が排除される社会になってしまうのだという”こちら”の話なのです。
そうしたことを考えたときに、認知症のことをもっときちんと考える必要があるのは、高齢者や医療福祉の関係者だけではなく、むしろ、生活を支える産業で働く人たち、福祉とは関係のない行政で働く人たち、若い世代を育成する教育関係者などではないかと考えます。
認知症のコトだから、医療・介護・福祉の人たちが考えるのではダメなんです。
一見関係ないと思われる人たちが、ものすごく大切に関係してくるのです。
記載日:令和元年11月11日